モヤモヤ

言葉を並び替えて正しい文を作るのが苦手な学習者がいる。日本語能力試験(JLPT)が数年間ちょっと変わって、言葉を並び替えて正しい文を作る問題が出題されるようになった。そこで、初級が終わり、中級に進むと共に、正確さから流暢さへ重心を移しつつ、JLPT対策を視野にいれた小テストなどを作ってみた。

テキストの新出語彙に「メンバー」という言葉があった。カタカナ語が他にあったり、類義語があったりすれば、語彙選択問題にしたかもしれないが、なかった。そのため、この語彙を使って言葉を並び替えて正しい文を作る問題を作ってみた。

問)サッカー メンバー する 足りない が

すると他の先生から「待った」が入った。曰く「『サッカーするメンバー足りない』って言う? おかしくない?」「こういう言い方をもしするのだとしても、私みたいに違和感を感じる人がいるのに、こういう言い方で習ったら、学習者は私みたいな人にどう思われるか…」とのことだった。

私の言い分としては「私には全く違和感を感じない文である」「5語前後の文字数で、言葉を入れ替える問題が作りたかった」「コーパス少納言)を見たところ「サッカーする」はないが、「サッカーして」はあるし、「ラグビーする」など、「<スポーツ>する」は使用されている。「{<スポーツ>する}メンバーが足りない」という連体修飾の文としてその運用面に違和感という問題がある一方で、文法(シンタクス)的には問題ないと考える」という4点。

プロトタイプ的な文による出題が良いとは思う。しかし、中級になったら、いろいろな日本語に慣れるべきだと思うので、言葉の揺れている部分を厳密に鑑みながら指導していくっていうやり方にはちょっと違和感を感じる。これはビリーフとか学習スタイルが関係しているのだろうなぁと感じた。そして、ビリーフが関係している話題について、否定的な意見を言いあい始めると碌なことがないので、僕は日常業務(授業活動)を進める際には、あまりそういった問題には触れないようにしつつ、触れないように意識しつつ、できるだけ許容範囲を広げておこうとしている。

しかし、もし自分の許容範囲が他人の許容範囲外で、その人が否定的な意見を僕に投げかけてきたとき、僕がコーパスやシンタクスなどで論じようとしても、最終的には「学習者がかわいそう」になってしまう。

実はこの話は1か月ほど前の話なのだが、未だに大きな問題として心を重くさせる問題だ。自分の中でどう処理すべきなのか、どう処理すべきだったのか、モヤモヤしたままで考えれば考えるほど霧が深くなる。

なかなか処理できないので、はてなでアンケートしてみた。

>>「サッカーするメンバーが足りない」という日本語に違和感を感じますか?(択一)
http://q.hatena.ne.jp/1344270751
「「サッカーをするメンバーが足りない」という日本語に違和感を感じますか?(択一)」
http://q.hatena.ne.jp/1344333025